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とぶわにといっしょに かんこくとあそぼ!

顕忠祠(李舜臣を感じる場所)




顕忠祠は牙山の誇る観光名所である。
うちから車で10分。
市庁のHPを見れば下手な説明は要らないと思うが、忠武公 李舜臣をおまつりしてあるところである。
そして暮らしていたという家や、弓矢の練習をしていた場所などを見てまわれる、広い公園のようになっている。
色々な木々に囲まれ、沢山の鯉が泳ぐ池があったり、とても美しい景観だ。
忠武公の遺品や亀甲船の縮小レプリカを展示してある遺物館もある。
入場料は学生と老人は無料で大人は500ウォン。

ここは牙山の人々の憩いの場となっている。
上記した所以外に広い駐車場と隣接した場所があって、そこは入場料を払わなくてもいいので、ビニールシートを持って行って芝生にひけば、ちょっとしたピクニック気分も味わえる。
本当は禁止なんだろうが、うちもよく子供の自転車やインラインスケートを持っていって遊ばせている。

私が初めてここを訪れたのはかれこれ10年くらい前だろうか。
今も昔もあまり変わっていない数少ない場所だ。
いつもきれいに管理されている。
そういえば昔からトイレに紙が常備されていた。

あ、一つ変わった事といえば、やけに中国人観光客が多かった事。
中国人の牙山温泉観光にここが取り入れられているんだろうか。
そういえば案内板も英語、日本語、中国語で書かれてある。

そして遺物館の案内のおじさんも一生懸命に仕事をしていた。
以前はあまり目立たなかったような気がしたが、今回は子供がちょっとガラスケースに触れようものなら
「ハイハイ、触っちゃだめよ!」
と出てくる。
それもそのはず、ケースの中には国宝の「乱中日記」(忠武公直筆)とか、公が身につけていた長剣や腰帯などお宝がわんさと入っている。
事があったら大変だ。

どんなお宝かって?それは・・・

乱中日記 国宝第76号「乱中日記」
忠武公が壬辰倭乱の時に陣中で書かれた肉筆の日記。
壬辰倭乱が始まった翌日から書かれており、途中多少の省略や重複があるものの、将軍が戦死された前日までの記録であり、のちに「忠武公全書」に収録された乱中日記の草本である。
特筆すべきは、水軍統制に関する軍事秘訣や戦況を報告する草案などが詳しく記録されてあり、当時の軍事研究の決定的な史料として高い評価を受けている。
syogunnokatana 長剣:宝物第 326 号
この刀は宣祖 27 年 (1594)4 月に閑山島陣中で、当時の代表的な匠人として有名であったテギヨンとイムセンが作ったもので、忠武公が常に壁に掛けて眺めながら、精神を整えていた刀。
剣の表には、それぞれ将軍の真筆剣銘が次のように記されている。
" 三尺誓天 山河動色 一揮掃蕩 血染山河 "
『 三尺の刀を持って天に誓う、山と川が驚き、一振りにして全てを滅ぼし、その血が山と川を染めつくす』
houmotsu3 腰帯:宝物第 326 号
腰帯は官服を着てから腰に巻くもので、品位により腰帯の飾りが違う。
この腰帯は明国の製品で、飾りは長方形型か心葉形でその周囲は金属で巻かれており、トラと瑞雲などが精巧に浮き彫りされてある。長さは140cmで幅は 5.5cm。
戊戌日記(宣祖31年、1598) 草稿:10月4日に明国の将軍 遊撃将の王元周が将軍 に贈ったものである。


他にもいろいろある。


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